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~ いにしえの足跡めぐり~  いいもん見たり食べたりするぞ

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藤原京

そろそろ壁紙も変えないと、季節感が薄れるな~と思いつつも、ひと月に2回位の更新をめざしているので、そのペースで行けば今月はすでにクリアーなんだけど、とりあえず不定期と言っているので、更新する分にはいいよね


今月は、日本書紀持統天皇期をひとまずお休みして、平城遷都1300年記念にちなんだ講座を受講予定。先日受けてきたのは、『藤原京』の形成と景観について

遷都にあたり街作りがどのようになされたかを、発掘調査資料に基づいて、専門的立場から検証して下さる訳で、今回はいわばほとんどが土木関係の話。藤原京を世界遺産に登録する運動も啓蒙されているそうで。

そもそも藤原京と言うのは俗称で、正式名は『新益京』持統天皇が694年に遷居した京。


Lohas Life



遷都以前に整備されていた官道(横大路、下ッ道、中ッ道、山田道)を基準に、約5.3km四方を碁盤の目のように分け規格化されている。
ちなみに東西道を『条』、一条、ニ条と呼び(京都と同じ)、南北道は大極澱に通ずる朱雀大路を境に『坊』、一坊、ニ坊と左右対照に別れる。条坊道路と言われるゆえんですね。



碁盤目のひとつ(1町)がだいたい120㍍四方だから、左右大臣のようなお偉い官僚さんは4町、以下2町、1町、2/1町、4/1町と分割されていく。これは現在の宅地造成の分割方法につながるみたいでおもしろい。しかも身分によって土地の大小が分かれるなんて、今も昔もサラリーマンは宮仕えが大変だなあ。
それでも、約7割の官僚が土地を与えてもらっていたらしいから、恵まれているとも言える。





ただ一般ピープルの生活はどうだったのかなあ。以外にも水洗トイレもあったらしいが



大賀ハス3





その話はまた次回に。




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